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2010.09.29 Wednesdayおととい久しぶりに幼なじみで中学生の頃から一緒にスケートにハマっていた、けんごと物作りの好きな、平たくと 小布施のランプに電話で『家でめずらしい本が出てきたから持って行くよ』と言って、けんごが持ってきてくれた本がこれ!見た瞬間、これ貸してと思わず、借りてきてしまった。小学校低学年で、はじめて、手に入れたおもちゃのスケートボードが、この年代の型のスケートボードで、よく道で流していたのを思い出してやけに食いついてしまった。子供の頃は、がむしゃらに知識も情報も無い中で、ただ乗るのが好きでやっていた頃を思い出した。そんな遥か前にこんなマニアル本が出ていたのにおどろいた。学校の教科書のように凄いまじめに書いてあって、おもしろい(笑)その中で、こんなかっこいい写真を発見!! ヤバい動きしてる板の型もかっこいいこれ最高におもしろい裸足で飛んでます。(笑)オーリー無い時代に 初めて見る技に驚きました!!そんな飛び方があったとは。。。#芽育雪板#make yukiitaa24gomyo
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- chili /argentinanの旅 その8
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2010.09.28 Tuesday最終日、どうしても、こっちでスケートがしたくて、日本で調べてきたスケートボードパークに歩き回って、やっとたどり着いた。情報が少なくて、ここの場所にあると言うただけで、こんなボールまであるとは!!感激!!ごんなハードコアな物まで!!しかしこっちのボトムに昨夜の雨で水がたまっていて、真ん中の深い所をさけてしかできなかったが、久しぶりのスケートで出来る所だけでもかなり楽しませてもらいました。早い時間は、5人ぐらいしかいなかったけど、夕方になると、続々と大人から子供まで人が増えて、人を引かないようによけながら、滑るぐらいに、大人気のスケートパーク はやっているんだねーもしかしたら、この国に唯一あるパークなのかもしれないこうして、この国のスケート文化に触れながら、最終日を満喫翌朝、フライトの為にホテル朝4時出発だった。すっかりローカルペースになってしまって、夕食は、9時頃の一番混んでる時間になってしまった。ホテルの人にうまい肉の店を紹介してもらったが、ならんでいるほどだったので、前の日に行ったレストランに入って、食事とチリビールを楽しんだ。日本では、めったに食べない牛肉を一生分食ったと言っていいほど、肉を食べた。もう、しばらく食べないだろーなーとりあえず、いい感じで、ホテルに戻り、飛行機で爆睡できるように、2時間ぐらい休んで4時、まだ暗いうちにホテルを出発した。しばらく走っていると、おとといパンクして変えたスペアータイヤがすぐにパンクしてしまった。。。5時に空港でレンタカーの人と待ち合わせしていたので、知らせるのに、少し焦りながらも現在地を調べる為に車から降りて、走って周辺チェックすると薄暗いスタンドに人が座っていた、なんとか、オーム君に車をそこまで走らせてもらい、スペイン語の本を片手に、レンタカー会社に電話してもらったが、、、何回電話しても出ない。。。本格的にヤバいことになってきた...でもなんとかしなければ、タクシーを呼べるか聞いたが、この時間には無理と言われ道に出たが、車すらもほとんど通らない。。。どうしようもなくなってきたときに、スタンドの脇に車を止めて、寝ている人がいた、スタンドの人が話しかけていると、何にも付けてないけど、この車タクシーだとすぐ教えてくれた、なんと、不幸中の幸い!!大荷物だけどなんとか交渉して、セダンのルーフに荷物を付けるロープあるからのせてくれと。。。いい車だったが、本当に困っている事が伝わったみたいで、了解してくれた。スタンドの住所だけ聞いて、レンタカーを残して、空港に向かった。少しほっとした。待ち合わせ時間から30分以上送れて到着、タクシーじゃ無いのにタクシーしてくれてたと思っていたら、支払いのときにダシュボードをあけると、タクシーの機械が出てきて、本当にタクシーだった。(笑)レンタカー会社の人を探したけど見当たらないので、先にチェックインだけすませようと、入り口まで向かうと、レンタカー会社の人が待っていてくれた。良かったー事情を説明して、レンタカー会社の方がこんどはパニクっていた。かなり、焦っていたので、不覚にも住所だけでスタンドの名聞き忘れたからだった。申し分けない事をしてしまった。とりに行ってくれる事になり、解決して、なんとか、ぎりぎり飛行機に乗る事が出来た。最後の最後まで、”南米は何が起こるかわからない”その通りの旅になった。それから、36時間、成田に到着!まだ終わっていなかった。。。オーム君の名前が書いた札が荷物の受け取る所で回ってきた。まさか...飛行機の中で心配していた事が起こった。。。荷物,オーストラリアで1つ置き去りになってしまったらしい最後まで何が起こるかわからないと言うより、予想的中してしまった(笑)あとで自宅に届くと言うので笑い事ですんだ。本当にいろいろな事が違いすぎて、今の日本のこの守られてるのが当たり前な感覚や、いろいろ不自由しないように用意されていることとか、運転一つ取っても感覚が違う、気を抜いていられない。日本の常識をくつがえすことがおおくて、向こうの常識は日本の非常識、日本の常識は向こうの非常識と言っていいほどの文化のちがいをもろに味わって、言葉じゃうまく言えないけど、いい経験となったのは間違えない旅をしよう!!!”芽育雪板”make yukiitaatsushi gomyo
- chili /argentinanの旅 その7
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2010.09.24 Friday翌日、チリへ戻るため、予定より1日余裕をもって、カビアフエを朝出発、昨夜までの雪で町から出れるか心配だったが、なんとか、降りる事が出来た。くるときに通った道をひたすら戻り、チリッ国境まで到達したが、何か様子がおかしい、トラックがずらっと並んだままで、動かない、運転手が何やら訴えていて、×(バツ)をジェスチャーで出している。まさか...と思い、検査官になんとか聞いてみると、雪で閉鎖していて、openするのは、3、4日先だと。。。散りに行けるルートがまだ下の方にあるから、下のでかい町で情報を仕入れて、からそっちもほうにまわれとゆうので、来た道をひたすら戻って、その先にある、町のインフォメイションで情報を仕入れた所、チェーンがあれば大丈夫だと言う事なので、チェーンを仕入れて、急いで国境にむかったが、あまりにも道がハードで、遅くなってしまい、受付時間内に間に合わなそうだったので,手前の町で、一泊する事になった。予定通り行かないのが南米と言うだけのことはある。1日の保険はここでなくなってしまったので、次の日出来るだけ、走る事に決めた。チリの出国は、すんなりいったが、アルゼンチンの入国審査が厳しく、荷物はすべて調べられて、犬まで登場したが、怪しい物は何も出てこなかった(笑)ただ、手前の町でお見上げに買った、蜂蜜が募集され、消却処分された。行けないの知らなくてもったいない事したートホホーその先、次の行きたい街のサインの方に行くとどんどん道が細くなって行って、ぬかるんできて、不安になってきたので、森を歩いている人に聞くと、行けると言うので、どんどん進んでみるとだんだん雪も増えすれ違いも出来ない道にとうとう、登れなくなってしまって、チェーンを装着してみたが、それでもダメでまた引き返す事になった。もう片方の道は、砂利だが、簡単な道だったのでそっちから、回る事にしたが、途中に地図でその町まで通してる道があったので、そっちに行ってみる事にした。またどんどん悪い道になった、途中に人がいたので、聞いてみると行けると言うので、進んでみるとまたどんどん細くなって行くので、また人がいたので聞いてみると、行けると言うので、さらに進むと、今度は、牛が3びき道にいて動かない、何をしても動かない。困っていると、後ろから車が来て、しばらくすると、降りてきて、赤いジャケットで追い払ってくれた。よく考えると、赤いもの!?大丈夫だったのか? 闘牛のみが赤に反応するのか、疑問に思う行動であった。とりあえず、また聞いてみると、冬は雪で通れないと言われた。今までの人は。。。一人は、馬に乗っていた、もう一人は歩き。。。車に乗らない人は冬どーなているかもこの先の事まで気にかけていないようだった。それから、こっちの人の行けるは、信用できない事がわかったので、広い道のみ使う事に決めた。それで1000km以上走って、夜中には、行きによった海沿いの宿に着いて、ベットになだれ込んだ。翌日は、オーム君がサーフィンを楽しみ、俺は、スケートで、ダウンヒルで腰をほぐし、体をケアーし、次の日の早朝,タローさんがフライトの為、空港に向かった、少し間違えただけで、無事時間までにおくることができ、サンチアゴの街中にあるホテルを探し、観光がてらぶらぶら街波を見て歩いた。車の渋滞がひどく、運転も荒いので、この街ではすべて歩気で回る事にした古い建物が多く、やはり、ヨーロッパの感じが強く感じた。地震の爪痕か、その建物が壊れたリガラスが割れたりしているのが目立った。まだ続くmake-yukiita”芽育雪板”a24 gomyo
- chili /argentinanの旅 その6
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2010.09.21 Tuesdayカビアフエ村の中は、雪が降ると除雪車はあるけど、メイン通りしかちゃんとは除雪しない。除雪どころか、何故か道にグルーマー通ったと思ったら圧雪して行く。そんなんだから、くるまは、役に立つどころかそこら中でスタックしまくっていて、ただのお荷物になる。日本の雪国での暮らしは、どれだけ、守られていて、除雪技術が高い事を感じた。だから、このむらでは、徒歩での行動がほとんどだった。撮影 最終日スキー場の上にある火口を目指した。又しても、かぜが強く、トップリフトは止まっていたので、リフト分もハイクで登る事になった。強風の中、何時間かのぼり、火口に着いた。火口は、水がたまっていて、茶色く濁っていた、周りは、氷河の様な青い氷の上に雪が積っている。感動の一瞬ここからぎりぎり光の当たる大斜面を滑り降り、撮影は、無事終了。帰り道、風で雪が川のように流れていて幻想的だった。 JP降りてきた頃には、7時近くになっていて、雲の色が何とも言えない色に染まっていたその夜、村の人を集めて、シグネイチャーズの上映会を開催し、大好評だった。そして、翌朝、次の目的地にむかった。つづく”MAKE YUKIITA””芽育雪板”A24 GOMYO
- chili /argentinanの旅 その5
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2010.09.17 Fridayその後、大雪の中、着いた勢いで、早速、町の裏山に恐竜時代から生息している、この辺りしか生えていない木?ローカルに言わせると、草らしいがどう見ても木にしか見えないし、樹齢600年ほどの物もあるらしいが、その草の中滑れるところがあるというので、雪板とフェノミナーに雪板パットを装着して、散歩がてら、滑りに出た。雪質は、しっとりパウダーで、日本で言えば新潟の雪っぽい感じで、20〜30センチくらいのパウダーでしたー久しぶりのパウダーで吹雪の中かなり熱くなって滑ってしまいました。大満足つきの日晴れて、やっと町の様子が見えた。なんだか、おとぎの国に居る様なおもしろい建物がほとんどでかなりかっこいい小さな村で、危ないと言われている南米のイメージをもかき消すぐらい良い所でいい人ばかりだった。その後何日か強風と嵐が続き、あまりにも凄すぎて滑れない日も雪がかなり降ったからスキー場に行ってみると、吹きだまりが凄くてウインドリップに当て込みにだだっ広いところは、固いかウインドパック、風でうねっている所が多かった。リフトは、ペアー4本、ティーバーが3本あるが上のティーバーは強風が原因か1回も動かなかった。結局、スキー場は,雪の川になるほど、毎日風が強く、いい日はほとんどなかったので、下の方の風をかわしている面で滑っている事が多かった。が、この独特な木。。いや草の中を滑れてほんとうによかった。やっぱり、treerunが好きな事も再確認した。特に狭い所(笑)続く